●弁護士になった理由と法律相談に臨むスタンスについて

私は、弁護士になる以前、テレビ番組の制作アシスタントディレクター(スポーツ中継やスポーツニュースなどを担当)をしていました。映像を編集したり、カメラマンを連れて取材に行ったり、スケッチブックにアナウンサーが読むためのカンニングペーパーを書いたり、モニター室で機械を操作して画面にテロップを入れたりと、正に皆様のイメージされるADの仕事をしていました。ADを辞めて弁護士を目指したというかなりの変わりダネです。おそらく日本に何人もいないでしょう。

もっとも、私は2つの仕事には大きな共通点があると思っています。それは、弁護士は依頼者の代理人であり、依頼者の主張を代弁し依頼者の利益を叶えるために存在するということ、テレビマンはテレビの画面に映る主役(スポーツ担当であった私の場合はスポーツ選手)が最も格好良く輝くように映すために存在するということ、すなわち、両者は、自分ではない別の主役のために存在する者だということです。弁護士やテレビのディレクター、プロデューサーというとあまり脇役というイメージはないかもしれませんが、決して主役ではないのです。自分が主役になりたくないという訳ではありませんが、主役だと思う人のために何かをする方が私は好きなのです。

その上で、私がADを辞めて弁護士を目指したのは、目に見えない視聴者ではなく、目の前の依頼者のために仕事がしたい、そう思ったからです。そう思ったのは、生い立ちやこれまでのキャリアからくる私の性格や人間性と深く関係しています。

私は、父の仕事の転勤で小学校の大半をロンドンで過ごし(当初は現地の学校に通い、途中からはロンドン日本人学校)、日本に戻ってきてからは渋谷駅から徒歩数分という大都会にある小学校に入り、中学は両親の教育方針により同じ渋谷区内ですが隣の学区の学校に入り、高校に入学する時期に父が札幌に転勤になったため私は両親兄弟と離れ神奈川県の祖父母の家から川崎市の高校に通うことになり、大学は東京の大学に進学し一人暮らしをし、卒業後東京のテレビ番組制作会社で働きました。その後、会社を辞めて、両親のいる札幌に渡り、塾講師をしながら司法試験の受験勉強を開始しました。札幌で法科大学院を卒業、その年に司法試験合格、翌年に司法修習を終了し、札幌で弁護士になりました。そして、平成27年1月、東京に戻ってきて弁護士として独立開業しました。

父の仕事、両親の教育方針、そして大人になってからは私自身の決断により、このように様々な環境に身を置いてきました。昔は、転校先ではしょっちゅうケンカもしていましたし、せっかくできた友達と離れるのが嫌で、環境がころころ変わるのが正直嫌でした。しかし、今ではこのような生い立ちやキャリアこそ、私の最大の財産です。環境変化を何度も経験したおかげで、コミュニケーション能力と人や物事に対するニュートラルな視点が身に付いたと思っているからです。今ではどこへ行っても新しい環境に順応できるし、誰と接しても変な壁を作ることなく話をすることができます。不良だったことはありませんが、学生時代はそれなりに尖っていたので、我ながら随分変わったものだなあと思います。どこへ行っても「弁護士っぽくないよね。」「なんか普通っぽいよね。」と言われます。世間一般の方は弁護士というとおそらく物事への拘りや主義主張の強い人という風にイメージするのだと思います。確かにそういうイメージで入ると私は全く違うと思います。私なりの物事への拘りや主義主張はもちろんありますが、それよりも人や物事に対するニュートラルなイメージが強く出ていると思います。話し方もそうですし、普段の服装などもそうです。本当に普通、本当に無個性で主義主張がなく映ると思います。

このような生い立ち、キャリアを経て、その環境ごとに求められるコミュニケーションを大事にし、多様な価値観の存在を認めてきた人間だからこそ聞ける法律相談があると思います。だからこそ、目の前の依頼者と会って話を聞き、その依頼者のために頑張れる弁護士という仕事を選んだのです。

私は、法律相談では、依頼者の方のお話を否定せず最後まで聞き、穏やかに消化し、意思疎通ができているかどうかを十分に確認し、最後に自分の意見を言います。弁護士に相談に行ったのにまともに話を聞いてくれなかった、頭ごなしに結論を決めつけられたという経験がおありの方は、私のところで同じ思いをすることは絶対にありません。こんなくだらないことで相談に行ったら弁護士に嫌な顔をされないかとお考えの方は、私のところに来て下されば、嫌な思いをして帰ることは絶対にありません。

私は依頼者を選んだことはありませんが、このような私の法律相談のスタンスと関係しているのか、女性の依頼者が多いです。特に専業主婦やパートをされている方、派遣社員、契約社員の方が多かったように思います。また、企業では、経営状態が思わしくなく金融機関との折り合いが上手くいっていない方、地域の開発が進む中で商店街で昔から頑張っている店舗を維持しようとする方など、普段から社会的強者との戦いを強いられている経営者の方が多かったように思います。これからも、依頼者を選ぶことはありませんが、これまで必要とされてきた以上、これからも上記のような特性の依頼者の方々には特に選ばれる弁護士でありたいと思っています。また、選んでいただければ満足していただけるという自信を持っております。

●弁護士としての信条について

私は元ADですが、AD業務は、弁護士の業務とはあまりにかけ離れているので、当時身に付けたスキルが直接弁護士の仕事に役立つことは滅多にありません。しかし、弁護士とは全く異なる業種を経験したことは、私の弁護士としての個性になっており、立派に役立っています。
テレビ業界と法曹を経験して、ADにあって弁護士にあまりないものは、①泥臭さ、②柔軟性、③フットワークの軽さだと感じています。ADの経験を活かし、私は、法廷でも法律相談でも、常にこの3つの要素を意識して職務に臨むことを信条としております。特に、②柔軟性については、ニュートラルに人や物事をみるという私の姿勢とも深くリンクしており、重視しています。
依頼者の方々、特に毎日のお付き合いとなる顧問先企業の代表者・担当者の方々は、私をADのようにどんどん使ってください。どんどん使われて、それに対しフットワーク軽く対応することで、初めて私の弁護士としての信条が守られることになるのです。

●今後の弁護士としての目標について

これまでそうしてきたように、多様な価値観の存在を認めてきた私だからこそ持つことのできる法律相談のスタンスというものをこれからも大事にしていくことが最も重要だと考えています。その上でさらに、以下のような目標を持っております。  

私は、何度も引っ越しをしてきたことにより、逆に人よりも強い地元意識を持っていると自覚しています。ずっと同じ場所に住んでいた人よりも、外からその場所を見たことがある分、はっきりと長所が見えて、より好きになっていったのかも知れません。私の地元は東京と神奈川、特に渋谷区(小中学校時代、現在)、杉並区(幼稚園、大学時代)、川崎市(出生地、高校時代)、そしてそれらの地域を結ぶ駅であり東京オフィスの所在地である新宿です。私は、地元で暮らす人々のお悩みを解決し安心して地元で生活していけるようにすること、地元を盛り上げるために頑張っている企業のために企業の対外的・対内的な法的紛争を解決・予防して企業のさらなる発展をサポートすることを目標としております。このような思いから、地元の商店街などにも入会させていただき微力ながら地域振興のための活動もしております。  

また、20代後半から30代前半を過ごした札幌も私にとって大切な場所です。私のように東京から札幌、札幌から東京に移住したり進出したりする個人や企業のため、起業や移住の際の法的見地からの支援、東京と札幌で離れて暮らす家族に対し家族単位でのリーガルサービスを提供することなどを通じ、力になれればと思っております。当事務所が東京と札幌にオフィスを置き、私自身が東京・札幌の両方に長く住み、弁護士を経験し、地域や人の特性を良く知っているからこそできることだと考えております。